RM Indigo ― 1.Yun (with Erykah Badu) について

BTS RM の2022年12月2日に発売されたソロアルバム『Indhigo』に関して出された映像や解説・感想を1曲ずつ自分の整理のためにまとめています

 

 

 

1.Yun (with Erykah Badu)
作曲・作詞:RM , Logikal J , GHSTLOOP

 

Big Hit RM-Indigo

まずRM 'Indigo' Album Magazine Film - YouTubeの中でジャケットに使われたRMが敬愛する尹亨根(ユン・ヒョングン)の絵とタイトルが彼の中でどういう位置づけになっているかを説明してくれています

 

youtube.com

 

「僕が実際に使っている丸椅子の上に僕が履いていたデニムのパンツが積まれていて(RMと椅子の)その間の積まれている一番高い所に僕が今回1番トラックに持ち出しているユン・ヒョングン画伯という方のシグネチャー(証、象徴的な)が世に出る直前の絵画です*1最後の習作のような絵画なんです」

「まだ僕のシグネチャーを探せていないと思うので、この習作を選びました」

「そして二つ目の意味は以前リリースした’mono’というミックステープがあるのですがリリース後僕の方向性もすごく変わったので’mono’と対比される’Indigo’という色で表現したんです」

 

【 筆者の心の声 】―ジャケットの説明だけでソロアルバムがかなりパーソナルな部分が込められていることが伝わってくる。絵画をRMと実際に履いていたデニムとの間に配置することでアルバムジャケットでもこのアルバムがどういったものなのかを表現しようとしているところにRMのこだわりを感じる。

 

 

WeverseLIVEでもそれぞれの曲を解説してくれています
〈Yunについて語る部分から〉weverse.io

 

こちらのWeverseLIVEでは曲を表すオブジェを「土」としてユン画伯を語っています
ここではこのジャケットの構図を”トリプティク(三連祭壇画)”*2と表現

 

〈 WeverseLIVEで語られたこの曲の要約 〉

・この曲は生前ユン・ヒョングン画伯が語っていた言葉に対して
 RMから送る返歌とのこと

・ジャンルはオールドスクール
・RMの根になるジャンルだそう
・先生の教えに対応する僕の宣言でこのアルバムが始まる

 

先生の教えの部分は冒頭の動画内にて
こう語られている

 

「”絵を上手に描こうなんて思わずに外に出ていろんな人に会って ぶつかったりケンカしたり 遊んだりしながら人生を送ったあとに 芸術が生まれるんだ”」

「”アトリエにこもって 絵を描き続けたところでそれは絵のための絵にすぎない”」

 

 

「Yun」日本語歌詞
素晴らしい和訳のリンクを貼らせていただきます

 

「I wanna be a human」

「before I do some art」

「”芸術をする前に僕はまず人になろう” テクニックや技術が重要なのではなく、どんな人生でどんな話を持った人からどう生まれるかが重要なんだと」

 

 

そして動画内の7:50あたりからErykah Baduにオファーした経緯が語られています

youtu.be

Erykah Baduさんのパートが ”何かをする前はいつも沈黙を守って” ”死ぬまで押し通せ” そういう教えが込められた内容なので 僕が歌うよりも この道を先に歩んできた先輩方に 歌ってもらったほうがはるかに説得力があるじゃないですか」

 

Tiny Desk (Home) Concertで「Yun」を披露するRM

youtu.be

 

【 筆者の心の声 】
― 彼が普段の会話でもよく口にする「人生」という言葉。
常に彼は人生を生きることと向かい合っている。
しかも”良い人間になりたい”という言葉も同時に口にする。
諸行無常の営みの中
私が泥団子を泥団子のまま眺めている時間
彼はコントロールしたがる人間のいる環境で、
アンチの声が聞こえる環境で、
常に何かの代表のように言われる環境で、
泥団子を徐々に大きく磨き上げ
よりピカピカな大きな泥団子を作り上げるのだろう。

わたしはそれを離れた場所で
ささやかな向上心を刺激されつつ
その姿を見せてもらうにすぎない存在だけれども
ひたすら人間として「真」を探求することを
辞めないであろう青年に出会えたことを幸運に感じる。

 

 

「Yun」まとめfin

 

 

 

余談:いろんな色のピカピカの泥団子

tokyo-eventplus.com

 

 

 

 

 

 

 

*1:Yun Hyong-keun - Wikipedia

*2:祭壇画 - Wikipedia